2. マネジメント発明の経緯
ドラッカーが、処女作『経済人の終わり』を出版したのは1939年のことだ。その後、第2次世界大戦をはさんで『産業人の未来』(1942年)、『会社という概念』(1946年)の2冊を世に問う。これらは一般に、ドラッカー初期三部作とも呼ばれている。
最初の2冊は、社会生態を観察したドラッカーが、まさに世の断絶を凝視した中で、社会・経済・政治について記述したものである。一方、3冊目の『会社という概念』でドラッカーは、社会にとっての企業の重要性、とりわけ企業を動かすマネジメントの働きについて認識するに至る。この問題意識がドラッカーの中でふくらみ、やがて世界最初の総合的なマネジメント書といわれる『現代の経営』(1954年)に結実する。
以後、ドラッカーは、大別すると社会・経済・政治系、およびマネジメント系という、2系統の書籍を次々出版することになる。中でも、マネジメント系の書籍は世間からの支持も大きく、マネジメントといえばドラッカー、というイメージが世の中に定着するわけだ。そして先にも見た、マネジメントを冠する呼称が生まれることになる。
しかし、注意したいのは、ドラッカーが取り上げたマネジメントも、社会生態学者として、そして観察者として、社会を凝視し続けた中で得たものだということだ。つまり、ドラッカーにとってマネジメントは、当然重要なテーマではあったのだが、それがすべてではなかった、ということだ。
ドラッカーはあるインタビューに、「わたしは、マネジメントの本には、あきあきしています*1」と語っている。マネジメントの神様としてドラッカーを信奉する人には、寝耳に水の言葉だろう。
筆者が推測するに、ドラッカーは、世間がマネジメントの専門家としてのみとらえることに耐えられず、このように言ったのではないかと思う。また、この言葉から、社会生態学者ドラッカーにとって、マネジメントは、多くの興味の中のひとつにしか過ぎなかった事実がうかがえる。まず、この点を理解した上で、以下、ドラッカーがマネジメントに対してどう考え、何を語ったのか、その詳細について見たいと思う。

