3. ドラッカーが指摘した知識社会の姿

 ドラッカーが「知識」に注目するようになったのは、遅くとも1950年代末のことだ。57年に出版された『変貌する産業社会』では、早くも「知識労働者」というキーワードを掲げ、これが社会に大きな影響を与え始めていると指摘している。さらに、前出『断絶の時代』では、知識労働者に関する議論をさらに深め、知識社会について論じるに至った。この後、知識社会は、ドラッカーの様々な著作で語り継がれ、最晩年に発表された論文集『ネクスト・ソサエティ』(2002年)でも主要テーマの一つになっている。

 組織を動かす原動力は、よく「ヒト・モノ・カネ」といわれる。中でも資本は大組織を動かす原動力となってきた。すなわち、資本(カネ)で生産手段(モノ)を所有し、労働力(ヒト)を投入して製品やサービスを生み出すという構図だ。

 一方、資本主義社会における最大の資源であった資本と労働力に、知識が取って代わる社会、これがドラッカーの指摘する知識社会だ。とはいえ、ここで言う知識とは、単なる物知りを指すのではない。社会や組織、個人のニーズを満足させる価値を創造し得る知識のことを指す。したがって、「『既存』の知識をいかに有効に適用するかを知るための知識*4」、すなわち知識とその知識を価値に転換させる知識、いわば「知識の知識への応用」の重要性が急速に高まる社会、これがドラッカーの指摘する知識社会と理解すべきだ。

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 ところで、最大の資源が資本から知識に置き換わることが、それほど大事件なのかと思う方も多いはずだ。しかし、この一事から世界観や価値観、社会の構造が劇的に変化する。

 まず理解すべきは、知識は生産手段だということだ。そして、その生産手段を所有するのは、知識を所有する労働者本人だ。資本主義社会では資本家が生産手段を所有し、労働力を商品として買ってきた。一方、知識労働者は生産手段である知識を所有するわけだから、知識社会の到来により、資本主義はその形態を変化せざるを得なくなる。

 この点に関してドラッカーは、先に掲げた『変貌する産業社会』の中で次のように述べている。「この集団(筆者注:知識労働者)の出現は新しい経済学の誕生をうながし、組織の知識と専門技能知識が真の『生産のための要素』となり、従来、経済学で生産の三要素とされていた『土地、労働、資本』は知識を有効に働かせうる限定条件にすぎないものとなりつつある*5」。ドラッカーのこの指摘は1957年のことだから、その慧眼に改めて驚かされてしまう。

 それはさておき、知識は誰にでも修得できる。年齢も性別も国籍も関係ない。その結果、知識社会は、今まで以上に競争の激しい社会、しかもグローバル規模での競争が激化する社会になると予想されよう。さらに、知識には持ち運びが自由という特徴がある。したがって、組織は必要な知識をいかに発掘するのかと同様に、その知識をいかにつなぎ止めるかが、今後のマネジメントの重要課題になる。

 加えて、組織は本当に必要な知識の獲得のみに集中し、それ以外は組織の外にある資源を活用する傾向が強くなる。アウトソーシングの役割が高まっているのがその証拠だ。詳細は省くが、リストラクチュアリング、リエンジニアリング、コア・コンピタンスというビジネス理論が相次いで誕生したのも、知識社会の浸透を物語る現象といえよう。

 さらに、知識を持つ者の重要性が高まることは、そうした人に対して多くの報酬が支払われることを意味する。逆に持たざる者は低い報酬に甘んじなければならない。ドラッカー自身は格差社会という語を用いていないが、やがてやって来る本格的知識社会では、知識を持つ者と持たざる者の間に、大きな格差が生まれることは予想に難くない。


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© Akira Nakano pcatwork.com 1999~2016